香取神社について
<御祭神>
香取神社の御祭神、経津主神(ふつぬしのかみ)は、威霊優れた「国家鎮護の神」として仰がれる、我国武将の祖神です。
御本宮が神武天皇の御代に東国下総に鎮座されましたことは、非常に意義のあることでした。日本国の守護を固めた事により、農業により深い関係を持ち、国土開発に多大の功績を与えました。このことから、「産業の祖神」とも言われております。
ゆえに大和朝廷におかれても、ことに崇敬が篤く、中臣氏(後の藤原氏)は、香取・鹿島両宮を氏神として忠誠を捧げ、崇敬を尽くされたのであります。
<御由緒>
当神社は天智天皇4年(665)、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)公が東国下向の際、この「亀の島」に船を寄せ、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因です。
天慶の昔、平将門が乱を起した際、追討使・俵藤太秀郷(たわらとうたひでさと)が、当神社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、めでたく乱を平らげたので、神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納し、「勝矢」と命名されました。現在でもこの古事により勝矢祭が5月5日に執り行われております。
以来、ますます民の崇敬があつく「郷土の守護神」というばかりでなく、ご神徳が四方に及びましたので、「葛飾神社香取太神宮(かつしかじんじゃかとりだいじんぐう)」と称え奉るに至りました。元禄10年の検地では、徳川家の社寺帳にも載せられ、古都古跡12社の中にも数えられています。